戦後80年に寄せて-知覧特攻平和会館へ-】

2025年08月14日

鹿児島県・知覧特攻平和会館を訪れ、語り部の方の話を聞きました。

知覧はもとも太平洋戦争末期、沖縄戦での特攻作戦の拠点となり、全国から若い特攻隊員が集まりました。

ここから出撃した隊員は平均年齢19歳、17歳の少年兵も多く、滞在期間は長くても10日ほど。
三角兵舎で短い日々を過ごし、家族や恋人、仲間に手紙を残して沖縄へと向かいました。
知覧からの出撃者は439名、その多くが帰らぬ人となりました。

戦後80年を迎える今、改めて「命の重さ」と「平和の尊さ」を胸に刻む時間でした。

最も心を揺さぶられたのは、婚約者に宛てた一通の手紙のエピソードです。

■ 穴澤敏夫さんと婚約者・智恵子さん

福島県出身の学徒出身兵、穴澤敏夫さん(当時19歳)には、17歳の婚約者・智恵子さんがいました。
戦争で会うことも叶わず、軍通信で思いを確かめ合い、やがて婚約。しかし、その未来は特攻命令で断たれます。

出撃数日前、敏夫さんは最後の手紙を書きました。

「あなたは過去ではなく未来に生きてください。
勇気をもって新しい人生を歩んでください。
会いたい。話したい。無性に会いたい。」

結婚できなかった悔しさと、相手の幸せを願うやさしさがあふれる言葉でした。
智恵子さんは贈ったマフラーを、敏夫さんは特攻マフラーの下につけて出撃し、そのまま帰らぬ人となりました。

■ 「平和」は偶然ではない

語り部の方はこう話しました。
「特攻隊員たちは笑顔で写真に写りました。それは、悲しそうな顔をすれば母が悲しむと分かっていたからです。」

私たちが今日、自由に学び、愛し、笑えるのは、多くの若者がその未来を願い、命を懸けた結果です。

戦争で得るものは何もない。その言葉が深く自分の胸に訴えかけるものがありました。

■ 戦後80年のいま、私たちにできること

今も世界のどこかで戦争が続き、罪もない多くの人が犠牲になり、涙しています。
「二度と同じ悲劇を繰り返すな」という声を、時代を超えて受け継がなければなりません。

戦争を経験した99歳になる祖母も
『戦争だけは絶対にしちゃいけん。』
何かあるたびに伝えてくれます。

平和は、ただの「状態」ではなく、過去からの「バトン」。

その想いを、今を生きる私たちが噛み締め、責任を持って生きて、次の世代にも伝えていかねばならんと強く思いました。

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